変わりたい変われない電力会社の企業体質。このままでは周回遅れに。

謝罪会見 企業体質・イメージ
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電力会社の企業体質は見えにくい

「電力会社はどんな会社ですか?」
「電力会社はNTTやJRみたいに民営化しないんですか?」

現役の時、何度か質問されました。
電力会社は、電気事業法と総括原価主義という権益に守られ、過保護な事業運営をしてきましたので、ほとんど実態が見えず
イメージだけが先行してきました。

先日皆様がお持ちの電力会社のイメージを全否定したような投稿になりましたが、この先行イメージが原因だと拝察いたします。
あるいは親御さんたちのイメージが影響しているのかとも思います。

冒頭の質問にお答えいたします。

電力会社は1951年(昭和26年)に日本を9電力に分割、沖縄返還の際に沖縄電力を加え、10電力による地域独占体制がスタートいたしました。
「なぜ民営化しないのか」の答えは「元々民営だったから」です。

この質問が出ること自体、普通の株式会社とは誰も思えなかったということでしょう。

9電力体制からはすでに70年が経過していますが、2000年の自由化までは何の変化もなく過ごしてきました。
更にそれから20年、制度は変わっても「企業体質」は何も変わっていなかったように思えます。

自分がお世話になってきた会社の悪口はあまり言いたくありませんが、今回は苦言を呈することになります。
辛いですが、これがこのブログの値打ちだと思います。

是非この企業体質をブレイクスルーし、厳しい競争環境をサバイバルできる人材に入社していただきたいという願いです。

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過去の栄光

20世紀中盤、戦後復興からその後の高度経済成長を支えてきたのは電力会社であることは間違いありません。

戦後復興は水力開発。「黒部の太陽」でも表現されているように、時の電力マンは寝食を忘れ国の再建を支えてきました。
また凄まじい高度経済成長には水力発電では追い付かず、大出力を賄える原子力開発に猪突猛進してきました。

電力は産業の礎であり、社員もその使命感とプライドに生き、家族の誉れでもあったことだと思います。
電力会社が各地域でのリーディングカンパニーとなっているのも頷けることです。

ただ、それは1900年代半ばのことです。
それ以降の、目のまわるような世の中の変貌はお話するまでもありません。

かたや電力会社は、電気事業法での地域独占という国の庇護のもと、特に大きな波乱もなく連綿と続いてきました。
諸氏が「電力会社=安定」というイメージを抱かれるのは、このころの時代を想像されておられるのではないでしょうか。

事実は残念ながら少し違ったものになってきているような気がします。

過去にさまざまな不祥事はありました。
ほとんどの電力会社で指摘されている「事故隠し」、九州電力で問題となった「原子力説明会でのやらせメール事件」。
こんなものが小さな事件と勘違いするような大事件が、電力会社の中核を担う東京と関西電力で発覚してしまいました。

70年経過し、積もり積もった垢や錆は拭い去れないものとなり、いろいろな場所に発生した歪みはついにひび割れを起こしかかっているのが実態のように思えます。それが最近になってついに顕在化したと思えるほどのショッキングな出来事でした。

2つの記者会見

東京電力福島第一原発事故以降、印象的な「記者会見」が2件あります。

一つは東京電力。

福島第一原発事故の直後、何度も何度も記者会見を行いました。

その際、どうしても違和感があったのは「炉心溶融」という言葉を絶対に口にしなかったことです。
記者からの追及には、「まだ事故の事実関係が確認できていない」として突き放した説明に終始しました。

これはどのような事故だったとしても、必ず再稼働させてみせるという強い意志の現れだったと思えます。
その後、水素爆発を起こしたことで東京電力の意図は雲散霧消しましたが、さまざまに非難を受け、廃炉やむなしと覚悟した段階で「炉心溶融を起こしているものと推察する」というスタンスに変わりました。
あのような事態になっていながら、まだ会社の方針を貫こうとする姿勢。
非常に傲慢な会見に見えました。

これには続きがあります。

安全対策工事未了の内部告発

原子力規制委員会からの指示による、安全対策工事に関し、手抜きまたは未了であることが判明しました。
そのこと自体を会社として把握できず、内部告発により発覚したことに大きな問題があるように思えます。

福島事故記念館での土産物販売

後悔と反省を後世に残すための事故記念館。
事故から10年も経過しながら、未だに故郷に戻る事のできない方々も多くおられます。

その記念館で、あろうことか「饅頭」を記念品として販売し始め非難を受けました。
被害者が視野にない無神経な発想と責められてもいた仕方ありません。

中央制御室警備のテロ対策不備

テロ対策の一環として、原子力発電所の心臓部である中央制御室への入退室は厳格に管理すべき、ということで警備員を配置していたようですが、自分たちまで止めるとはけしからん、ということで必死の制止を振り切って通過したとのことです。

警備は厳格にする。エリートである自分たちを除いて。
ということです。
ミッションインポッシブルのゴーストプロコトルで、クレムリンに潜入するイーサンとベンジーのシーンを彷彿とさせます。

未曾有の事故を起こしても、何も変わっていない。私の実感です。

もう一つは、関西電力。

原子力立地地域である、福井県高浜町元助役からの金銭授受問題です。

事件の構造は単純で、地元の原子力関連の複数請負企業の役員に転出した元助役が、金銭のみならず、小判などの物品を関西電力関連役員等に強引に贈り、受け取らせました。

気の弱い関西電力の役員たちは断りきれなかったということです。
これを国税当局が突き止めたというものです。
そもそも「原子力は金まみれ」と揶揄されている中で、自らそれを証明しました。

しかも金銭授受だけでなく、該当役員個人に課された追徴課税の追徴分を役員報酬として補填していたというものです。

この事実は、国税当局からリークされたため、関西電力はおっとり刀で記者会見を開催いたしました。
「私たちは元助役が怖かったので受け取ってしまった。
そうしないと恫喝されるので仕方なかった。怖かったのです。
私たちは被害者です」というものでした。

この会見の評判は悪く、記者や世論の猛烈な批判を受け、第三者委員会の設置による事実確認、幹部役員の辞任、会社や市民団体からの提訴にまで広がってしまったという事例です。

会見出席者のきょとんとした顔が忘れられません。
「自分たちは被害者なのに何が悪いんだ。
何でこんなに責められるの?」という感じです。

貰ったものが小判だから言うわけではありませんが、まるで明治維新の時に鎖国を解いた日本のようです。
外国では、鉄の船や大砲を建造しているのに、かたや、ちょんまげと袴、武器は刀だけ。
士農工商という自分たちにだけ通用する掟があり、武士=エリートだけが持つプライドと価値観だけで時代を乗り切れると勝手に思い込んでしまいました。

切腹する勇気だけはありませんでしたが。

この時はじめて世の中が変貌していることにやっと気づいたのでしょう。
まずは、電力会社はこういう企業体質である(だった)ことをご理解ください。

最初に書きましたが、その上でこの傲慢で自分本位な体質を改善していくのは皆さんです。

その心意気だけは絶対に忘れないでいただきたいと思います。

次回以降の投稿では、電力会社を取り巻く環境変化について触れますが、この体質がそのままなら、そのことだけで今の電力会社は消失することになりかねないこととご認識いただきたいと考えます。

企業体質・イメージ
塾長こと一村一矢

「電力会社就活塾塾長」こと一村一矢です。
電力会社のOBで、40年あまり原子力発電所を中心に勤務いたしました。
引退後は小説やコラムを書いています。電力ネタはあまり興味のあるモチーフではありませんでしたが、コロナ禍で企業や店舗がバタバタと倒れる中、電力会社への就職希望者が殺到という噂を耳にしました。 電力会社は今も安定企業なのでしょうか? 就活生のために私の知る限りの実態をお伝えいたします。