オイルショックでトイレットペーパー不足。なんでですか。

石油採掘 エネルギーセキュリティー
スポンサーリンク

エネルギー・セキュリティーは、いつも電力会社の悩みの種

常に安定してエネルギーを調達できるかどうか。これをエネルギーセキュリティーと呼びます。
今、ロシアが、ウクライナ侵攻に伴う西側各国への対抗措置として、エネルギー資源の輸出を経済戦争の具に使用しかけた瞬間に日本の貿易収支は赤字に転落しました。

何十年も前から資源小国である日本は、この問題に悩み続けてまいりました。
主には電力・流通部門ですが、決してそれだけではなく、エネルギーは日本経済の根幹でありあらゆる業界が多大な影響を受けるのは間違いありません。

今ほどエネルギーセキュリティーが国家懸案となっているのは間違いなく、参議院選挙後の首相会見で電力需給危機に関連して、原発再稼働まで言及されるほどの事態です。

これから電力会社に入社される方も会社の大きな懸案として危機感を持つべきであると考えますし、企画や燃料部門や発電所の現場に近い職場に配属される方は切実な問題として降りかかると思います。

今回から3回に分けて特集してみます。

スポンサーリンク

油断

「油断」というドキュメンタリー小説をご存知でしょうか。

今から50年近く前、通商産業大臣、経済企画庁長官を歴任され、晩年は作家として活動された堺屋太一氏が執筆されたもので、ある日突然、石油調達の道筋が絶たれ、そのほとんどを輸入に頼る日本が、なすすべもなく麻痺し崩壊してゆく姿を生々しく描き出した衝撃の秀作でした。

「油断」の語源は諸説あるようですが、「北本涅槃経」で「王が臣下に油壺を持たせて、一滴でもこぼしたら命を絶つと命じた」という話から生まれたという説があリます。作者堺屋氏がこの逸話を元に小説タイトルをお考えになったのは明白だと思います。

当時エネルギーの資源の大部分が「石油」という時代であり、それを絶たれることの意味を警鐘として残そうとされたものと理解できます。

当時日本は、時代を震撼させた「オイルショック」を経験しつつある時期であり「石油」に依存しすぎることの是非を考えさせられる小説でありました。

余談ですが、堺屋氏が1970年の万国博覧会の総合プロデューサーをされていた関係で電気事業連合会として出版協力をすべく何回も全電力会議を重ねていたことを記憶しています。電力会社には有識者との関係構築という仕事もあり、コミニュケーション能力の高い人は重用されます。本当に余談でした。でも大切なことです。

今回30年ぶりに復刊されたらしいですが、戦争、原油高、テロ、自然災害が相次ぐ今、これを面白いフィクションとして読み過ごして良いものでしょうか。

我が国を取り巻く状況や社会環境は全く違いますが、エネルギー資源確保の重要性は全く変化なく、そのほとんどを輸入に依存せざるを得ない国にとっては常に喉元に刃を突きつけられているに等しい危機感であります。

当然「石油」の調達セキュリティーを考えるのは政府の仕事ですが、その影響をもっとも受けやすいのは運輸・石油製品加工などと同様「電力業界」の発電事業であることは火を見るよりも明らかです。

電力業界就職を望む方々のために、50年前を振り返りながら何を考えるべきか考えていきたいと思います。

オイルショック

第一次オイルショック

今から50年ほど前、1970年を過ぎた頃、突如母親がトイレットペーパーやティッシュペーパーを買い漁り、実家の一部屋の半分以上を占めていたのを記憶しています。

当時、オイルショックなど興味の外で、そんなに新聞やテレビのニュースに接することもない普通の高校生だった私は、一体何が起きたのかも分からないまま母を罵っていたことだけを覚えています。母は当時の当たり前の慎ましやかな主婦で、彼女を責めるべきではなく、そこまで行動させるほどの出来事が日本の一般家庭に起きていたと理解すべきでしょう。
それが1973年の「第一次オイルショック」です。

1973年の年末、スーパーからトイレットペーパーや洗剤などの石油由来の商品が、一斉になくなり、あっても大幅便乗値上げが行われました。「このままではモノ不足になり生活がとんでもないことになる」。この強迫観念に苛まれ一般主婦が行動に移したのが前述の買い占めです。

「第一次オイルショック」のきっかけは1973年に勃発した第4次中東戦争でした。
OPECが原油の生産制限と輸出価格の大幅値上げを行なった結果、原油価格は3ヶ月で4倍に高騰。石油の大量消費国である先進国を中心に世界経済は大きく混乱いたしました。

ちょうど「石炭」から「石油」に舵を切ったタイミングで、エネルギーの90%を輸入原油に依存していた日本も例外ではありませんでした。

「石油」の値上がりは、「発電」だけでなく、膨大な種類の石油関連製品の値上げに直結し、物価はあっという間に高騰し、急激なインフレ状態に突入いたしました。

「第一次オイルショック」は単に日本国内にインフレショックを巻き起こしただけでなく、戦後復興から高度経済成長と突き進んでいた日本経済に水を差す事件でした。これをきっかけに日本の高度経済成長の終焉を迎えたと分析する方もおられます。

翌年夏までの間、とりあえずこの激震を乗り切るべく政府はさまざまな対策を実施いたしました。
休日ドライブの自粛、暖房の設定温度調整、テレビの昼間・深夜放送の打ち切り。突然の我慢生活で、学生ながら世知辛く、不自由な生活を強いられていたような記憶があります。

第二次オイルショック

1978年末以降、OPECが段階的に大幅値上げを実施。翌年のイラン革命や翌々年のイラン・イラク戦争の影響も相まって、石油価格が3年間で約3倍まで高騰いたしました。

これが「第二次オイルショック」です。日本でもまた物価上昇が起こり、経済成長はさらに減速いたしました。ただ、「第一次オイルショック」での経験を踏まえ、国民は冷静な対応をとり社会的混乱には至りませんでした。

エネルギー供給安定政策

二度にわたる苦い経験を踏まえ、政府も安定的にエネルギーを供給するための対応に乗り出しました。
「石油な安定確保のための90日備蓄」や「石油を大切に使うための省エネ法」の制定などがそれです。

加えて、電力会社やその渦中に飛び込もうとされる方が必ず熟慮断行しなければならないのは、当時とられた対策のうちの「エネルギー源の多様化と調達先の多角化」です。

当時は「温暖化対策」「脱炭素」とか「再生可能エネルギー」とか「地政学的検討」などという言葉はありませんでしたが、先人が連綿と悩み続けてこられたのはこの点に尽きるのではないか。社会情勢が変容しても悩まなくてはならないのはここではないのかと思っています。

次に2度にわたる「オイルショック」当時、新入社員であった私が言われたこと、感じたことをを参考にしながら、エネルギーセキュリティー確保のために、いま考えねばならないことをお知らせできたらと考えています。

 

エネルギーセキュリティー
塾長こと一村一矢

「電力会社就活塾塾長」こと一村一矢です。
電力会社のOBで、40年あまり原子力発電所を中心に勤務いたしました。
引退後は小説やコラムを書いています。電力ネタはあまり興味のあるモチーフではありませんでしたが、コロナ禍で企業や店舗がバタバタと倒れる中、電力会社への就職希望者が殺到という噂を耳にしました。 電力会社は今も安定企業なのでしょうか? 就活生のために私の知る限りの実態をお伝えいたします。